IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

MIT的新入生増加策

先々週、久しぶりに、半日MITのキャンパスを端から端まで歩いた。クレスゲ講堂の地下の会議室にもたまたま行った。そこは25年前に初めて、自分が重要な役を果たしたLispの会議の会場の隣だった。階段を降りながらその時のことを思い出した。なぜそこへ行ったかと言うと、友人、MITの卒業生が属しているグループの集会があってそこへ行ったのである。その傍の駐車スペースは卒業生はパスを購入して駐車をすることができるようになっていた。その近辺には、卒業生歓迎の旗やポスタがあちこちにあって、卒業生パワーを活かそうという雰囲気で満ちている。そして、実際にいろいろな卒業生のグループ活動がキャンパス内でできるようになっている。

MITのメインの通路を通り、さまざまなビルディングをのぞいてから、もう一方の端にあるスローンスクールまで行った。それらの中もそう変わっていないので、昔を思い出すことができる。そう、キャンパスはオープンでだれでも入れる。しかし、重要な建物やフロア、部屋にはそれぞれセキュリティ対策がされている。特に重要な建物はその内容などが普通の地図には書かれていないから、知らずに地図を見るだけの人にはどこにあるのかさえわからないようになっている。CSAILの元の人工知能研究所AI Labは、午後4時でその区域に入るドアはすべて自動でロックがかかった。それ以降はカギがないと入れない。昔の建物では、エレベータホールまではだれでもいけたが、そこからフロアへはカギがないと入れない、と言う構造だった。今はちょっと違うが。

キャンパスのあちこちに大学新聞が置かれている。その内容は在校生だけでなく、教職員、そして卒業生、あるいはたまたま通った旅行者にも目に入ることになる。2010年9月10日号のThe Techという1881年以来続いているという新聞を手にとった。その主な記事は”W1 to reopen as Maseeh Hall next fall”というものだ。この話は、発行日そしてその翌日にあった複数の卒業生である友人が知っていた。情報の浸透力はそのくらいある。

この話は次のようなものである。

「ある卒業生が2千4百万ドルをW1寮のリノベーションに寄附した。90年博士修了のFariborz Maseehという人である。これによって270人分の新入生を増加して、4500人の規模にできる。これは大学当局が懸案の事項としてきたことだった。現在は4232人であるが、これは、寮がたりないので生じていたことだった。これによって、MITは90年代前半の学生数に戻すことができる。その当時は、新入生はフラタニティに住むことができた。それが1997年に起きた飲酒による学生の死亡事件によって、その制度は廃止になった。。。。」そして、その効果、寄付をした人物の紹介、どのようなアレンジになるかといった詳細が続く。

まず、このような寄附をすると税金が帰ってくる。友人の話だと、半分くらいまで戻る可能性はあると言っていた。2400万ドルの寄附というのは、その人の収入等の状況にもよるが、少なくともそこまでの出費ではないということは言える。それから、こうした形での卒業生の寄附を有効に活用する大学当局のプランというかWish Listの存在、そしてそれを個人名を付けて称える仕組みの定着。日本とアメリカの制度と力の差を感じる。

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Written by masa-ida

9月 22nd, 2010 at 10:30 pm

Posted in 経済

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