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オンライン教育
facebookに書いたが、MITで、ハーバードと合同で出資して、オンライン教育の準備を始めた。MITxがそれ。最初のクラスが友人のProf. Gerry Sussmanが心血をそそいで昨年11月くらいから3か月でつくった、6002.X。6月頭で最初のセッションは終わった。facebookに書いた話はここでは省略する。MIT内外の多数の人が受講しているのに驚いた。そして、率直な感想を彼に送っている。いくつかのポイントがあると思う。
まず、スタンフォードなどが4校でやっている連合軍では、教材の作成などを企業になげているので、うまくいかないよ、結局内容が問題なんだ、教授が自信をもって語れる講義を自分で作って、そのまま載せないとダメなんだ、という主張がある。
次に、OCWと同様に、すべてをオープンにするのがMITの方針だ、という主張がある。OCWが始まった時に、たのまれて、学長室にその時のリリースをもらいにいったことがある。いわく「それでも、学生はMITキャンパスに来るのです」
何も特徴がなく、漫然と講義をしている大学があれば、それはつぶれるよ、という主張がある。
一つ一つの講座をそれぞれの大学がそのまま使ってくれていい、という主張がある。お金もとらないよ。
なぜって、MITは、for profitの学校ではない。そんなことで利益なんぞは求めないよ、という。non profit private schoolなんだ、という主張がある。
日本の学校はどうなるだろう?少なくとも、これらは英語だからうちは心配ないよ、というのは、教育の質の維持に、独自の努力をしたうえでなら、言えることになる。そうでなければ、丸々日本の教育は世界の水準から置いてけぼりを食うことになる。学校に突き付けられた課題である。同時に、学生側の意識の問題も表面化してこよう。
優秀な高校生、あるいは新興国の優秀な学生たち、彼らはこうしたオンライン教育の恩恵をまっさきに受けている。
海外へ出ていくということ
ニュージーランド地震での活動が、生存者発見のためのものから、遺体発見のものへと移行するという趣旨の政府発表があったというテレビのニュースを仕事をしながら横で聞いた。とても悲しいニュースである。特に関係者の方々にとってはとてもつらいものであろう。親にとっては子供が自分より先に旅立つというのは、それこそ自分がその代わりになりたい、というくらいに痛切さを持った悲しみである。一生懸命に志をたてて、英語を勉強しようと海外に行く心の若い人たち。こういうことがあると、そらみたことかと日本の内向き志向が増幅されるのを恐れる。海外に出ていく日本人が減るということは、外国を肌感覚で理解する日本人が減ると言うこと、それはとどのつまり、日本を直接理解する外国人が減るということでもある。なにを考えているかわからない相手、どんな生活をしているかわからない相手、という感覚が増えると戦争になってしまう機会も増える。当然、海外、特に知らない街に行くのはリスクが高い。危機管理というか危機に対する対処法は、海外に行く度合いにあわせて、身につけていく必要がある。これにはここまでで終わりということはないだろう。だけれども、過剰に防御的になりすぎるのも、その社会の実相をみることができなくなる。自分にとってもとても大きな課題である。
ニュージーランド地震での被災者、遺族、関係者に大いなる慰めがありますように。