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ゼニ本位主義とシアワセ本位主義
ある大メーカを定年で退職した方と話をした。大変にすぐれた方とお見受けし、また、楽しい会話をすることができた。大メーカがいかにクローズな世界で縦割りで、計画経済的で、イノベーションに対応が困難で、その中で大変にがんばって、オープン、グローバル、ダイナミックな世界に対応できるように必死でひっぱってこられた様子を話されたように感じた。とても開けた垢抜けた方のように感じたが、同時に住む世界が根本的に異なるのかとも感じた。IT企業のトップがいかにITを知らない人たちだったのか、その中でどれだけがんばってITの勘所を説明してきたか、労働集約的、つまり、所与のゴールを達成できるソフトウェアパッケージの開発にあたって、設定された機能を、いかに安く、いかに速くできるかをエンジニアに強いてきたか。その状況を打破するためにどれだけがんばったか、それを聞く中で、根本的に異なる部分を再確認できた。
つまるところは、価値をすべて金額に変えること、これをしないといけないというのである。そして、目標を明確化してからでないと動かない。そこのところは、批判しておられた相手と変わらないと感じた。オープンイノベーション、オープンソースの世界に変えないといけない、と言われるところには協力したいとは思うが、サイクルのまわしかたの最初が異なっている。私の考え方では、相手をシアワセにすることを供給する。それが有効であり、相手に余裕があれば、それが帰ってくる。この純でサイクルを形成する。それをビジネスの世界に馴化させる。
製品を設計し、それを作成し、販売する。とても自然なことだが、多機能のパッケージソフトウェア製品というのは、多くの顧客にとっては使いもしない機能がついているだけで、無駄な機能にお金を払っている。製造側の効率で一本化して作った製品を部分的に顧客は必要なところだけを使うのである。そして最初からどこまで使いたいとわかっている顧客は居ないから、最初は大きな機能のものを買うことにさからうすべはない。
結局、顧客がほしいのは、顧客の展開に必要なIT機能が供給されていればいい。そして、ワンタイムの購入ではなく、継続的なサポートが必要なはずだ。であれば、顧客視点のサービスの供給をすれば、ITソリューション企業はお金が循環するはずである。それをするソフトウェアは独自の開発であることが必要であるものばかりではない。機能はむしろ同じものの方が安心して使えるかもしれない。問題は、それぞれ異なる自分の環境でちゃんと動くように面倒みてもらうことではないのか?
IT企業が自社の理論の押し付けとしてパッケージソフトウェアを開発して、それを販売するのと、顧客が必要なものを次第に確定させるに従って、必要な機能を供給するアダプティブなサポート、これをとりあえず前者をゼニ本位主義、後者をシアワセ本位主義ととりあえず呼んでみよう。少なくとも後者にオープンソースのコンセプトは使いやすいはずだ。