IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

キトの思い出

2001年11月22日、そしてその頃撮影のキトでの写真をFacebookに10年後に上げた。

以下はその投稿から拾う。

エクアドル、キト市。パネシージョの丘から市内をのぞむ。2001年11月22日撮影。10年前。山あいにはりついたような起伏がある町が歴史も感じられなんとも印象的。

懐かしいよね。民泊で、数回あわせると50日くらいはいました。あちこちの街角に町でやとったマシンガンを構えた防弾チョッキのガードマン。食事に行っても車を路上駐車するとそのガードマンにお金を払ってみておいてもらう。ある意味、合理的な仕組みだった。いろんな不思議なフルーツが朝市にあって、おいしかった。

アヒーを甘いスポンジケーキにもつけて…ただの布にもどってしまったような1ドル札を随分つかった。持ってた一ドル札、最初はきれいすぎてにせものだろうとうけとってもらえなかった。それでくしゃくしゃにしてから使用。10ドル札なんていうと天から降ってきた貴重品のよう。アメリカからの飛行機はだいたい夜中につく。そして、逃げるように数時間でアメリカに戻る。あの飛行場のなんともいえない、ぎらぎらした雑踏。世の中にはこんなところもあるんだと新鮮な経験だった。

ミルクシェーク35セント、この店は高いなぁ(写真省略)

はずれのインディオの人たちの店で、アルパカのセータ購入。いまでも使ってる、暖かい。おそらく1ドルとか2ドルとかだった

バス停には減速するだけで止まらないバス。バスによって料金が違う。最後まで私には区別がつかなかった。これに乗る!といって飛び乗る。これは3月の春分のころ。太陽は真上。赤道直下だし。標高が高いので涼しい。エルコンドルパッサが似合う町。

 

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Written by masa-ida

11月 22nd, 2017 at 10:09 am

Posted in 生活

良いニュースは海の向こうから来る?

「ITを活用した新しい形のサービス、これを中核に、おもしろいから試してみようという人たちが集まって新しいビジネスが誕生する」

最近、日本では元気がなくなった。こういうたぐいのサクセスストーリーが少ない。

規制がそれをさまたげているという人がいる。それはそうだろう。けれども、同時に、新しいことをやってみようという人たちのまわりにすぐに、それは大丈夫なのか?リスクは検討したか?などと、心配するのと足をひっぱるのと区別がつかないような意見がすぐ出て、それをクリヤすることが求められる。VCでも石橋をたたいてからでないと渡らないのではとさえ思える。本人もだんだん不安になってくる。で、萎える。そして良いニュースは海の向こうから来て、自分たちでは作り出せないとあきらめる?

このサイクルを打ち切る必要がある。無鉄砲はやめなければならないが。

さてどうするか?答えは容易ではないなぁ。

2013年9月13日にFacebookに次を書いた。

アップル株下落、「iPhoneが圧倒的優位の日本は独特な市場」、「アップルストア銀座店には12日朝、速くも購入を待ち望む人たちの行列が出来た」。60歳をすぎて、根本的な課題そして自分が何を訴えようとしてきたかがだんだんわかってきた。良いものは海の向こうからやってくるという自分たちの創造力を信じない目線、いいビジネスの担い手は中身を変えられないプロダクトを日本でうまくきちんと作戦をたてて売り抜く人という「現地経営者」の目線、それを担ってきた人がその方法でアジアでビジネスを展開して嫌われるが気がつかない視線の低さ。これはアップル株の問題ではない、日本のグローバルビジネスに対する目線の課題。

そしてそれへのコメント

Mr Foo: それは戦前からそうなのか、戦後体質なのか、どちらなのでしょうか?日本人のカラダに染み付いている体質だとすると、変えるのはそうそう簡単には行かないでしょうね。
井田 昌之 戦前なんていう昔の、私も存在していない時代のことではないのでは?たとえばカメラ。ニコンの敵はキャノンであり、ペンタックスであり、相互に日本国内で競ってル構図のまんま海外でも競争していたのでは。自動車、オートバイしかり。おもしろいおもしろいって作って競争して、それで国際競争力がついて、評価もあがって、というサイクルがどっかで消えた。90年代の頭のフォレスターリサーチのレポート。今でももっているが、アメリカで作って暖めているものをどうやって海外で売るかの教本。知財はそとに出さずに。文字通りその通りに、頭も良く、きれる、商才のある日本人が、次々とアメリカものをきっちりと売る仕組みを作って売っていった。そして、日本国内の産学の連携も変になった。そういうひとがビジネス上手ともてはやされた。そうでないひともでてきたが、やはり全体としては苦戦しているのでは。日はまた昇らないというエッセイをアメリカで見た覚えがある。そういう草刈り場の国になってる側面もある。それを推進している若い人たちはそれを理解してほしい。歴史の必然なのかどうか。

Mr Foo: 先生、感覚的ですが、グローバル市場で戦ってやろう!という肉食系社会人の存在感を感じません。みな、誰かが率先してくれるのを待っている感じがします。危機感がないのでしょうか?

2013年9月13日 9:41 ·

井田 昌之 「肉食系」ですか。。それより、意思と直感と信念とじゃないかな。それをやっていこうという。高度成長期の平和ぼけの影響かも。

 

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Written by masa-ida

9月 13th, 2017 at 7:56 am

Posted in グローバルIT