IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

子供の教育

一般に教育制度は決めて実行をはじめてから100年で効果がでる。長い道のりだという。では、家庭の教育はどうか、というと、まぁ10年とか20年後に答えが「自動的に」出るもんだと最近思う。そして、それは教えたことというより日頃どんな生き方・暮らし方を子供の前に見せているかということが、出す答への影響は大きい。だから、要するになにを個別に教えようとしても大差はないな、とさえ思う。おそらく、教えようとした時に、親がどんな態度でそれに臨んでいるかはかなり効く。

二つ思い出す。とても忙しい、自分の仕事に忙しい頃、それでも日曜の朝は一緒に教会学校に行こうというのだけは決めていた。そんなころ、自分で日程を設定できる海外出張は月曜発金曜着と決めていた。日本に居ても、その頃は朝は小学校に子供たちが行ってから起きて、出かけ、夜は子供たちが寝てから帰って、というような生活が続いていた。要するに週日には顔を見せていない。家内も淡々と毎日を過ごす方だから、ある日、出張から帰って、土曜に子供たちにお土産を渡した時、子供たちは言った、「あれ、パパ、また居なかったの?アメリカ?お帰り、プレゼントありがとう」まいったね。

もうひとつは、そんな頃のある日、家内も大変だったし、そうしようか、ということで、「よし、今日の夕飯はどこかに食べに行こう!」と言ったら、一人の娘が、「だめだよ、パパ、うちは貧乏なんだからそんなことしてたらお金がなくなっちゃうよ」まいったね、言葉がなかった。

つくづく子供は親の背中を見て育つというがそのとき、ずんと来たのを覚えている。そして、説明をする適切なタイミングというのは難しい。子供は小さな時から毎日毎日自分が状況判断をしたその基準で自分の方針を形作る。いい父親だったかどうか、ごめんなさい。でももうしょうないね。

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Written by masa-ida

7月 22nd, 2014 at 10:30 am

Posted in 家族生活

「中立な技術」をはさんで

「技術は中立だが、それを使う人間は中立ではない」(第五の権力、E. Schmidt & J. Cohen著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社P100)

これは真理だと言っている。そうだろう。「標準がないのが中立だ、標準はそれに加わった人たちの利益を代表している」という真理もある。そうなると、完全自由市場にもっとも近い存在とされるインターネットは、新しい技術をひっさげて登場する新規参入者にとってはもっともふさわしい実験場であり、ソースであり、シンクである。

完全に中立な人間なぞいない。ましてやfor profitの企業は、かかげた目標のために進んで行く。中立ということはありえない。

しかし、情報の非対称性がある、また、投下できる資本力の差がある。中立な技術も公平とは言えない。

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Written by masa-ida

7月 21st, 2014 at 10:23 am

Posted in IT