IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for 12月, 2016

The Power of Python

2016年12月安倍首相は「和解の力 The Power of Reconcilliation」というキーワードを含んだ所感を、真珠湾で述べた。(http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/1227usa.html なお、それ自身意味深い内容があると思う,一読の価値あり)

これで、人工知能の歴史と未来を考える上で、The Power of Pythonという言葉が頭に浮かんだ。

だいたい、MIT人工知能研究所の働きとテーマは、世の中の動きの30年くらいは先を行っていたと最近感じる。40年かもしれない。その活動の中で、Lispマシンを産み出し、90年代にポシャっていった。あれはなんだったんだろう、どう説明したらいいんだろう、時には何度もその中にあって、流れを長く見ていたものとして考えていくテーマの一つである。少なくともLispマシンに到達した概念の進化は先に行きすぎていた。半導体をはじめ、ハードウェアの製造技術はそれに追いついていなかった。対象情報とプログラムを切り離し、プログラムもまた処理すべき対象情報として扱う技術は、単にインタプリタは遅いという主張に勝つ必然性を見いだせなかった。しかし、ネットの時代になり、対象情報を転送させ、それをそこでローカルに処理するということの必然性がさまざまに出てきた、インタプリタの必要性がそこにあった。実行時の実行性能ということを切り離して扱う世界ができた。Javaが現われたが、商業的な競争とそのときに必要だった技術の改良・進化・高速化の波の中で、記号処理側面は強調されなかった。データベース技術も成熟した。処理をする最後の瞬間まで加工せず元々のデータを取っておくことは今や可能なアプローチになった。実行手順として用いられるプログラムも動的に変更されていくことが、そういう世界もあるんだなぁという理解を生む技術に至った。記号処理の世界は敗退したかに見えて、しぶとくその本質的な役割を果たしてきた。

日本では1974年に情報処理学会に記号処理研究委員会ができ、それが記号処理研究会になった。Lisp、SNOBOLそして人工知能関連の萌芽的な活動がそこにあった。PROLOGの発表もあった。応用関係は人工知能の研究の確立へと進む。ソースの公開理念についてはフリーソフトウェア、オープンソースへと進む。記号処理研究委員会の資料はまだ手元に取ってある。初期から共に歩んできた仲間たちは覚えているだけで4名若くして途中で命が絶たれた。希望はあったが、さまざまな苦しい状況もあった。両英一先生は大きな存在だった。

で、The Power of Pythonを想起するのである。

 

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Written by masa-ida

12月 28th, 2016 at 12:24 pm

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10ドルを銀行で両替した

アメリカへ2週間の冬休みをとる孫が、成田空港で出発まで時間があるので、おみやげを一つ買いたいという。食べ物などであれば、私が何がほしいか聞いてOKであれば、出してあげるのだけれど、アメリカで待ってるもうひとりの祖母へのみやげとなると自分で買った方がいい。で、成田空港の某銀行の両替コーナーへ行くことにした。彼には米ドルは持たせたからである。

両替の申し込み書がある。名前を書くようになっている。すべて日本語の表示の中で英語の説明がそれぞれについている。「ブロックレターではっきりと書け」とある。で、小学生である彼は、世にも不思議な字で自分の名前を書き出した。ちょうど古めかしい7セグメント表示のLED表示盤のように書き出した。たとえば、Gの字は6と同じになる。OとDは同じになる。で、自分で言ってる、「これでOとDは区別できないよな、どうすんだろ?」ちょうど、小学生向けのSFマンガで、宇宙人のしゃべりにふられているセリフのようだ。まぁいい。

次に便名を書けとある。JL004だと教える。そうしたら、Jとして変な字を書いた、なんと曲がる方向が違う、左でなく、右にカーブしてはねてる!「おまえ、英語もう忘れたのか?」「そんなことないよ、ボクは英語を知ってるし、正しい英語を書いてる」。。。などと英語で押し問答、私は笑いながら。で、しょうがないから指摘したら、「あ、そうか、そうだと思ってた」などと平気で言い放つ。ぐちゃぐちゃと黒く消して脇に書き直す。次は住所だ。どこを書くかなとみていたら、なんと日本の住所を、これはちゃんと書いた。覚えてるんだ!これは見直した。

金額を書く欄、「5ドルにしようか、それとも10ドルかなぁ」「おみやげ5ドルじゃ買えないよ」で、10ドルに決定。窓口へ。

きっちりとしたみなりのいかにも毎日10万ドル100万ドルと扱っていそうな中年のオジサンが窓口の向こうに居た。さぁ、どうなるか、私は高見の見物を決めた。何事も教育だ。

孫が申し込み用紙を出して、それが受け取られた。何もなかったように平然と処理が中で行われている。そして、赤いプラスチック皿に千円ちょっとが載せられて、返された。孫は、おそらく緊張していたのだろう、その赤い皿ごと受け取って持っていこうとした。あわてる銀行員。ダメだよとさけぶ祖父。マンガだね。

で、本人気が付いて皿を返した。銀行員は孫に一礼した。孫も挨拶した。にこにこしてやってきた。それで、私もおもわず遠くだけれど、その銀行員に会釈した。銀行員も会釈した。東京三菱銀行ありがとう。

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Written by masa-ida

12月 24th, 2016 at 10:15 am

Posted in 家族生活

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