IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for 8月, 2018

マクベスは何を語っているのか

シェークスピアのマクベス、読んだことありますか?少なくともネットにあらすじなどを書いたサイトもあるので、見てみてください。若い時に私も読んで、その時にはどろどろとした変な話だというくらいにしか感じていなかった。

2017年1月、研究科でMITからパトリックウィンストン教授を呼ぶことになり、その準備やいくつかのアレンジをした。彼とは1984年くらいからの知り合いで、人工知能研究所の所長をしていて、数回の私の人工知能研究所滞在についてもお世話になった。彼の研究関連でもいくつか手伝いになることをしたので、謝辞をもらったりもした。

彼が1月の2回の講演で、いろいろなエピソードの一つとしてマクベスに言及した。聞きながら、彼と人工知能やITの新技術開発についていろいろと話し合っていた中で語り合ったいくつかのことを思い出した。いろいろな細かなシーンが展開される中で、大きく見たときに何の話か?ダンカン王の時代に起こったこと、そして必ずしもそれらの延長ではなく、王子マルコムの時代に入る、そこで物語が終わる。マクダフとその息子は死ぬ。マクベスによって殺害される。マクベスもその子どもも、妻も死ぬ。バンクオの息子は生き延びる。どろどろとした権力争い、功名争い、の詳細がそこにある。

パトリックウィンストン教授が今も頭の中にあるのは、約30年に渡って、MIT人工知能研究所の所長をしてきたこと、その中のそれぞれの意志決定がよかったのか、もっと違ったことができなかったのか、なぜLisp言語が使われなくなっていったかについての本人としての確証を持ちたい、ということが今大きいと私は感じている。そして時代は次の時代へ進んでいく。そんなこと。

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Written by masa-ida

8月 27th, 2018 at 11:02 am

Posted in 経済

スマホだけの世界が作る未来

昨日、学生食堂で昼食のときに、久しぶりにあった(文系学部の)先生と一緒になった。とりとめの無い話をしてひとときを過ごしたが、そこでは話されなかった事も含めて、気になったことを書いておこう。

学部の学生を直接担当しなくなって久しい。どんな変化があるか聞いてみた。そこででてきたこと。学生がパソコンを使わなくなった、使えなくなった。ノートPCの所持率が下がっているだろう。デスクトップパソコンなんて強制されなければ使わない。すべてを自分のスマホで扱おうとしてる。。講義資料もスマホでPDF表示、授業中も。ネットで情報をよく見ているし、また孤独でスマホにこもっているというわけではない。SNSをうまく使っている。ただし、自分の近いトモダチだけに限ろうとする。他の世界には防御的になる。日本以外に出て行くなんて、そんな面倒でおそろしいことを。

ITを使って生み出す、知的生産の道具にする、イノベーションの舞台にする。。まったく無くなったわけではない、ただ、スマホののぞき窓で見られる範囲で。どんな機種を買ったらどんな事ができるか、には興味がある。

なんでこんな話になったかというと、10代に対するプログラミング教育の必要性とやり方について。その前にパソコンになじんでいない、がでてきた。そして、多くの若者にはキーボード、物理的なキーボード、は自分が多用する手段としての認識は低い。無いと言ってもいいかもしれない。スマホの文章入力も仮想キーボードは出さず、テンキーのフリック入力で、レポートも作ってしまう。だから、プログラミング教育の重要性の話はすでに高次元の、実際的な選択としては手がとどかない選択肢の話になっている。

要するに、草刈場の消費者という像には間違いない。日本が失速しないように、今からでも何かできるだろうか。

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Written by masa-ida

8月 22nd, 2018 at 8:56 am

Posted in 教育