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ベトナムとは:その2
文化の違い。なにげない日常のこととして痛烈に覚えているのは、facebookに書いて、翌朝とりさげた、卵事件である。
スーパーで卵を買った。日付はその日の日付が打ってあった。フライパンの上で卵を割ろうとした。中に黒ずんだ物体と血が見える。頭の恰好や体つき、むきだしの内臓が見える。キャベツやハムなどと一緒に炒めようと思ったのだが、間一髪、その中へ落とすのは防げた。恐怖感があった。あわててそばのさらに落とした。母が卵をいきなりフライパンに割って落としてはいけないと50年は前に言っていたのを思い出した。まいった。卵が孵化してひよこになってた。まさか。これも50年位前には家で、卵が血にそまっていることがあった。しかし、ひよこがはいっていたことはなかったとおもう。しかし、目の前にそれがある。
それで、最初にfacebook記事に、英語で、有精卵がかえってしまったようだ、今日「まで」の日付だったのに、ということを書いた。写真もつけて。その写真は刺激的だったのでとりさげた。しかし、これだけではなぞのままだった。
6個入りのパックだった。それで、アパートにおいておいてもなんだと、残りの5個をなんとかなるかい、というつもりで受け付けの秘書のところへ持って行った。まず、日付というのは、パックしたひづけで、今日、棚にのった商品だった。彼女は、これほんとにもらっていいか、といった。おかしなことをいうなとは思ったが、いいよ、とにかく処分してくれればうれしい、と私は言った。にこにこして、持って行った。
数日後、はじめていたベトナム語のレッスンに関連して資料をみていた。そうしたら、「アヒルの卵」の説明があり、それが問題の卵と同じではないか。「孵化しかけのあひるのたまご。これをゆでてたべる。見た目はグロいがなかなかおいしい。おやつとして、北部では朝食として食べる」とある。鶏卵と間違えて、貴重な現地の食品を買ったが、わからなかったのだ。
結構、誤解のままにすごしてきたこともあるだろうなぁ、と思った。
とりあえず
文明は破滅に向かって進歩する
さまざまな栄枯盛衰がある。だいたい、人間は死ぬし、機械は壊れる。不滅のものを求めるものもいるし、そんなものはありえないさと達観するものもいる。野心のある若者は、自己実現を追求し、金銭あるいは名誉が幸福そのものだと誤解し、人をけとばしてでも自分の設定したゴールに到達しようとするものも居る。結果ではなく、プロセスにシアワセがあるはずなのに。逆に自分はどうしてこんなに不幸なんだろうとなげくこともある。本当はその時が一番シアワセなときだったのかもしれないのに。
いずれにしても地上を這いまわる我々は自分のできることを成し、挑戦できることには挑戦し、毎日の食事をし、一喜一憂し、生き続けることになる。
失敗作を作ってしまった時、それはダメになる。しかたのない必然である。しかし、成功作を作ってしまっても、それはいずれダメになる。成功した要因そのものが文明の進歩とともに、致命的な欠点になることもある。こんなことしかできない人間だからいとおしい存在なのだろう。うまくいったとしても、失敗したとしても、なんくるないさ、と前を向いて生きることだ。山のような具体的な話を書きたくなるが、それはやめておこう。