IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

脆弱性とリテラシーと省電力

アメリカをはじめ多数の国の友人たちからメールが地震のあった金曜の夕方から早速飛び込んできた。それでも今のところ20通くらいだが。安否を尋ね心配してくれる声。そのあとには質問や意見の交換。状況理解の説明を求める声など。米国内の自分たちのメーリングリストの管理者からの問い合わせはかなり早い時期にあった。無駄なメール交換がさけられた。

ポイントは表題にしたことだと思っている。脆弱性とリテラシーと省電力。質問をするのは多くの場合、自分の問題へのとっかかりが欲しい場合が多い。福島原発の問題と東京の状況を求める声には究極のところ、自分たちだったらそういう場合にはどうなるのか、という自分への問いかけが背景にあるように思う。

以前に、「100アンペアの上は200アンペア」という記事を書いた。「100アンペアの上は200アンペア」 がそのURLである。これも体験談である。

日本はやはりきめ細かく管理することに慣れる国民性があると思う。それが省電力への感覚につながるはずだ。

次に脆弱性、電気に依存した国になった。電気が来ないと電話も使えなくなるという時代になった。総務省のホームページにも停電の際の固定電話サービスについてという表明(言い訳?)がある。我が家の電話器には1997年製のものを未だに現役にしている。機能は低いが、「停電の時にも普通の電話として使えます」と書いてある。昨日チェックしておいた。一方光も入れている。計画停電がなにを意味するか、多くの人には最初はピンとこなかったのではないか。すべてが止まるだろう。なので、電力会社も計画停電するぞ、というおどし以上には実際に使うのはためらっているのではないか。ある意味で、核抑止力と同じ論理がある。計画停電を表明することで総消費電力を下げることが実際の効果としてでているといういうべき。スローライフをテストする機会と考えないといけない。被災地で今も苦しんでいる人のことを考えればどうってことない。

リテラシー。基本原理と自分の生活への直接の影響をもっと結びつけて教える必要がある。科学するココロをどう皆が持つかという課題である。これは長くなるので、あとで。

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Written by masa-ida

3月 17th, 2011 at 7:44 am

Posted in 生活

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