IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for the ‘家族生活’ Category

捕鯨の町ニューベッドフォード

クジラの話が新聞に出ていて、突然、ニューベッドフォードに行った時のことを思い出した。ボストンに住んでいた2002年の夏のことだったと思う。友人の両親と娘と4人で車で行った。この両親夫妻とも長い交流があったので、マサチューセッツ州の南のケープコッドの付け根のあたりにある町に夫妻は当時住んでいて、そこへたずねて行った時のことである。一緒に近くの町まで行こうよということになった。

港のそばのミュージアムに行こうと言う。なんだろうかと思って一緒にたずねたら、Whale Museum。捕鯨の歴史が保存されている博物館である。へぇーっと思った。当時、アメリカで捕鯨がさかんだったとは知らなかったからである。まず、車を止められるスペースを近くに探して、それで向かう。まず、フィルムが上映されているコーナーへ行った。多数の捕鯨船でひしめいていた様子が映し出される。一大基地である。石油が取れることがはっきりするまで、アメリカの国内の油をまかなうために、鯨油がとられていたのだ。知らなかった。しかも、相当量!日本の近くにも捕鯨船は来ている。世界中の海へでていったようだ。そして、肉は捨てて、ここを強調したい、肉は捨てて、油だけを取った。

館にはそのころの衣装、道具、そして船が一部再現されていた。船員たちの居室などなども再現。

肉は捨てて油だけ使う、もったいない。そういう感覚がまず来た。無駄なことをする。

自分が小さいときには、クジラのベーコンを相当食べたことを思い出す。おいしかった。今はもう食べられないだろう。海の宝としてクジラのからだのさまざまな部分はそれぞれに活かしたはずだ。

いろいろな思いが頭をよぎった。ニューベッドフォードへ行ってみてほしい。

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Written by masa-ida

6月 26th, 2010 at 9:52 pm

Posted in 家族生活,経済

ネットの真価

指導中の博士の学生に触発されて、アマゾンで中古で出ていた、「ネットの真価」ISBN4-492-55411-4東洋経済新報社を購入した。著者はジョンヘーゲルとマークシンガー(小西龍治監訳)。価格は9円プラス郵送料340円。太陽堂書店の出品である。本はちゃんと届いた。

まず、原文のタイトルが気に入った。Net Worth: Shaping Markets When Customers Make the Rules。タイトルに著者のコンセプトの中核がきれいに入っている。情報の非対称性と規模の経済の組み合わせが変化していくとき、市場とはどんなものになるか、その実験を今我々は進めていると考えている。この本は、1999年に出版されたが、日本語版は2001年1月の出版とある。特に日本でのITバブル崩壊期にぶつかったためか、当時はあまり評価されなかったように思う。

ネットにおいても情報の非対称性はある。売り手は、必然的に、買い手より多くの、そして正確な情報をもっている。しかし、売り手よりも買い手の方がより多く持っている情報がある。どんなものを買いたいのか、これには潜在顧客と呼ばれる段階では、買い手にはわからない、ということがある。究極、想像ということ以上のものは持たない。買い手が買ってくれて初めて、売り手には買い手の情報が入手される。同時に、売り手も消費者である。消費者と顧客との属性の違いの間になにができるか、おもしろいところである。

ネットで失敗をしたことがある。北海道の業者から碁盤を買った。厚手の良い感じの碁盤。写真もある、情報もちゃんと載っている。それらにはいつわりはなかった。値段も手ごろ。取引もちゃんとしている。出品情報の表示の中にサイズが書いてあった。しかし、写真などからあまり気に留めなかった。届いた。さっそく使ってみた。19路の碁盤、一番外側の部分に石を置くと、かろうじて乗るだけだというのを発見。周辺部に戦いが行くと、最大限に注意をして、そっと置かないと、打った瞬間にその辺の石に接触してぼろぼろとこぼれてしまう。これにはまいった。気がつかなかった。盤面のサイズが全体に5ミリずつくらい小さいのである。もともとのちゃんとした碁盤を、側面を削ってきれいにしてある感じ。使えないわけではない。うそがあったわけではない。情報のクオリティと買い手の弁別力。これはネットだからどうのということではない。しかし、世界中の人の間でとりひきができるような時代、もっとこうした問題は表面化する可能性はあるのではないか。

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Written by masa-ida

5月 5th, 2010 at 1:11 pm