IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for the ‘教育’ Category

トップの機動力と総合学園としての力量

私立の教育機関の運営形態はさまざまである。特に、幼稚園から大学院まで、とか大きな規模の学校になるとその運営形態そのものが学校の特色に大きく関係するように思う。文部科学省的には、「理」「事」「長」の3字がつく人がその学校の責任者として学校を代表することになる。また、大学長が他の部門、たとえば高等学校などとどういう位置関係にあるか、といったことがある。

まず、暇があって、慶應と早稲田をみてみた。慶應は塾長、早稲田が総長がそのトップである。いずれも、大学長と理事長を兼ねている。つまりその人にすべての責任と権限が集中している。他の私学はこのような形でないところが多い。青山学院は、院長と理事長は人格として別になっている。また、大学長は別に居る。幼稚園長からはじまる各部の長は大学長と並列である。次に各学校のホームページをみてみると、常務理事あるいは常任理事に関しての扱いの違いが見える。これらの方々が本部機能を担っているが、その担当分野が明記されている学校とされていない学校がある。企業でいえば、執行役員制の採用と似た方式をとっていると理解できる学校がある一方、おそらく従来からの取締役的な位置に居るという学校と両者があるように感じる。

この構造の違いを理解することは重要だろう。いろいろな学校関連の協議会等に、その学校の代表として出てくる人の実際の肩書きはさまざまである。その学校のその会に対する思い入れの強さがわかったりもする。かって文部科学省が言っていたような記憶があるが、確かにその学校の執行部の構造について、もっと民間企業での進展の歴史を取り入れた方がいいかもしれない。その学校の文化を現わすと同時に、力量と機動力を表すものともなるからだ。

コメントする

Written by masa-ida

10月 9th, 2010 at 2:48 pm

Posted in 教育

二番じゃだめなんですか?

民主党の蓮舫議員を有名にした言葉である。どういう意味なんだろう?

先頭にはならなくてもいいよ、あるいは逆に、先頭になることを目指しているんですか、それともそうでないんですか、ということを文字通り聞いているのか。先頭争いにはくわわらなくていいよ、ゆっくりと自分の世界で幸福を追求しなさい、というあたりなのか。そうではないだろうけれど、一番のまねをするだけで十分でしょ、という解釈を言う人も居る。まわりに聞いてみると面白いと思う。新技術開発の世界だとすれば、人のものを蹴落として進んでいって、それで一番になるということはほとんどの場合意味していないから、相対的な一番を目指すという話はそもそもピントがあわなくなる。一方、ビジネス的な要素が強い文脈なら、なにもそんなに貪欲になって一番をめざさなくてもいいのでは、ということも意味はでてくる。

自分の持っている能力を磨いて磨いて、という努力はやめて、楽しくそこそこに暮らしなさいということなのか?どうもそういう解釈の空気が多いらしい。

スピードスケートの世界一をきそう練習の中で、以前は秘密練習だったらしい、ジャンプスケートというトレーニングをテレビでたまたまやっていた。以前の黒岩選手あるいは清水選手の画像なども入れながら、このトレーニングを開発した先生の話をやっていた。氷面をけっていく、それには幅1ミリにならない歯の上にまずバランスよく体重をのせて、右に左に蹴る足の力を利用して、他方の足を極限までスムースに前に滑り出させていく、これを1ミリ幅の歯のアウトとインの切り替えの微妙なタイミングの中でぴったりとタイミングをあわせるとスピードが増す。これを、練習に練習を重ねて、疲れた体であっても体がきっちりと覚えるようにさせる。そのための練習の一つとして、たとえば、右足を前に出したら、左足から「飛んで」左方に着地する、左足でそのまま滑る、次に右足から右へ飛ぶ、というのをみせてくれた。しっかりとエッジの上に乗っていて力のバランスがしっかりとしなていないとできないとのこと。私などには到底無理な話だ。背も小さく、体重も少なく、それでも体重差20キロという欧米人に伍していくために必死に考えたトレーニング方法だとのこと。また、足の長さも違うので、蹴っていく足が描く氷上の軌跡も同じであれば、欧米人には足が短い分次第に遅れていくので、同じスケーティングの仕方では勝てない、そのための工夫をくわえたことも紹介される。二番のままでいいとあきらめていたらでてこない成果である。

多くの新しいテクノロジは、古くから培われ、こつこつと改良されてきた要素技術を新しい場にあって、複数組み合わせる、そのアイデアから出てくる気がする。この気づきはどこからくるか。なんとかしようという人間の頭脳の思考力、経験と知識の組み合わせ、そしてそれを新しい場面にあてはめるための努力からである。少なくとも二番のままでいいとのあきらめからはでてこない。

コメントする

Written by masa-ida

9月 4th, 2010 at 10:53 am