IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for the ‘経済’ Category

0.9を5回かけると0.6以下になる

仕事で北京出張した。そこで感じたことを書いてみよう。ときどき私がする話がぽっと頭に浮かんだ。

10%の違い、いくつかの異なったファクタ多数の相乗作用があると、全体としてはどんどん100%からは下がっていく、ということである。当然、算数的には無限にかけていくとゼロになる。日本でも、自分のまわりでもいつも自戒の言葉としてときどき思い出すことである。不思議なことに、1.0は何回かけても1.0のままである。

中関村で、ePadを買った。Android2.1-update1のタブレットである。10インチもの。なかなかいい。おもしろい。安い。びっくりした。こうしたものを作ろう・生み出そうとする日本の活力が失われてどんどん差が開いているように感じる。だいたいの用途には実用的に使える。もちろん、厳しい目で見ていくと、いろいろと課題も目につくが、それは今日のテーマではない。日本の中でのちょっとした差は、世界の活力ある人たちの活動の成果とは大きな差になる気がしている。どうしたらいいだろうか。

同時に、北京の街の作られ方に、完璧を期するという目で見たら、あちこちにもうちょっとやればなぁという部分にも気がつくことになる。いろいろなもののできはそこそこというものが多い。地下鉄も5年前とは大違いに、あっという間に発達して大変便利になった。けれども、乗り換え駅での接続は遠い。大変だと思う。地下鉄の切符、2元で買える。どこへでもいける。安い。販売機では、路線と行き先を選択して買う。しかし、結局今のところどこをおしても同じなのだ。行き先の選択は使われているのだろうか?そのうちそのデータtは使うようになる?

地下鉄、誰かが、作ったもの勝ちなのです、といっていた。たしかに、統一されて作っている感じではない。車両編成も短いし、時刻表もちゃんとしていない。なので、ホームにはたくさんの人、そして電車が来るとわっとたくさんの人が降りて乗る、だから通路も常に超満員というくらい込んでいる印象にもなる。バスも安い。だけれども集中してたくさんの人が待っていて、わっと乗りこむ。環状の高速道路とそのアクセスの市中の道路。いつも駐車場のように混んでいる。信号のない交差点で我先にとつっこんでくるのでにっちもさっちも行かない、それが渋滞の先頭になっているのもあちこちでみた。ATMの話を聞いた。ATMカードは自動的に吸い込まれるが、お金を引き出したり処理が終わった時には、カードは自動的に出る設計になっていない。排出ボタンを押さないと出てこない。なので、取り出すのを忘れるとトラブルになる。もう5回くらい忘れて、カードをそのたびに作りなおしたと言っていた人がいた。などなど。

でも、ある意味で中国政府には同情を大変に感じる。そう、ミニ国連になっている、一つの国が。いろいろな経済発展の段階、いろいろな地域、とても貧しい人からとてもリッチなひとまで。北京の中心部は東京以上にハイセンス・ハイプライスの町でもある。人造的な感じもする。これらを一つの国として束ねるのは大変なことだろう。援助も引き出しながら、また他国の援助もする。経済の安定をはかりながら、最近の為替安値競争にもなんとか生き残ろうとする必要がある。

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Written by masa-ida

10月 21st, 2010 at 5:37 pm

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MIT的新入生増加策

先々週、久しぶりに、半日MITのキャンパスを端から端まで歩いた。クレスゲ講堂の地下の会議室にもたまたま行った。そこは25年前に初めて、自分が重要な役を果たしたLispの会議の会場の隣だった。階段を降りながらその時のことを思い出した。なぜそこへ行ったかと言うと、友人、MITの卒業生が属しているグループの集会があってそこへ行ったのである。その傍の駐車スペースは卒業生はパスを購入して駐車をすることができるようになっていた。その近辺には、卒業生歓迎の旗やポスタがあちこちにあって、卒業生パワーを活かそうという雰囲気で満ちている。そして、実際にいろいろな卒業生のグループ活動がキャンパス内でできるようになっている。

MITのメインの通路を通り、さまざまなビルディングをのぞいてから、もう一方の端にあるスローンスクールまで行った。それらの中もそう変わっていないので、昔を思い出すことができる。そう、キャンパスはオープンでだれでも入れる。しかし、重要な建物やフロア、部屋にはそれぞれセキュリティ対策がされている。特に重要な建物はその内容などが普通の地図には書かれていないから、知らずに地図を見るだけの人にはどこにあるのかさえわからないようになっている。CSAILの元の人工知能研究所AI Labは、午後4時でその区域に入るドアはすべて自動でロックがかかった。それ以降はカギがないと入れない。昔の建物では、エレベータホールまではだれでもいけたが、そこからフロアへはカギがないと入れない、と言う構造だった。今はちょっと違うが。

キャンパスのあちこちに大学新聞が置かれている。その内容は在校生だけでなく、教職員、そして卒業生、あるいはたまたま通った旅行者にも目に入ることになる。2010年9月10日号のThe Techという1881年以来続いているという新聞を手にとった。その主な記事は”W1 to reopen as Maseeh Hall next fall”というものだ。この話は、発行日そしてその翌日にあった複数の卒業生である友人が知っていた。情報の浸透力はそのくらいある。

この話は次のようなものである。

「ある卒業生が2千4百万ドルをW1寮のリノベーションに寄附した。90年博士修了のFariborz Maseehという人である。これによって270人分の新入生を増加して、4500人の規模にできる。これは大学当局が懸案の事項としてきたことだった。現在は4232人であるが、これは、寮がたりないので生じていたことだった。これによって、MITは90年代前半の学生数に戻すことができる。その当時は、新入生はフラタニティに住むことができた。それが1997年に起きた飲酒による学生の死亡事件によって、その制度は廃止になった。。。。」そして、その効果、寄付をした人物の紹介、どのようなアレンジになるかといった詳細が続く。

まず、このような寄附をすると税金が帰ってくる。友人の話だと、半分くらいまで戻る可能性はあると言っていた。2400万ドルの寄附というのは、その人の収入等の状況にもよるが、少なくともそこまでの出費ではないということは言える。それから、こうした形での卒業生の寄附を有効に活用する大学当局のプランというかWish Listの存在、そしてそれを個人名を付けて称える仕組みの定着。日本とアメリカの制度と力の差を感じる。

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Written by masa-ida

9月 22nd, 2010 at 10:30 pm

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