IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

Archive for the ‘教育’ Category

ジョニーアップルシード

Johnny Appleseed。その名は、さまざまな逸話、物語の中でアメリカの子供たちの間で知られている。必ず聞かされる話になっている。リンゴの木の育て方を教えるべく、アメリカ中を実際にあちこちに行き、リンゴ栽培を広めた。そういえば、昔、北の方へドライブして、リンゴ園に行って、リンゴ狩りをした思い出がある。ボストンから2時間くらいだったろうか、もうニューハンプシャー州といっていい地域だった。いろいろな種類のリンゴが区分けされて植えられていた。

Johnny Appleseedの本名や略歴を調べてみたことがある。というのは、東南アジアのあちこちにOSSやITの集中研修などをしに行ったので、その話をアメリカの友人としていたら、「ジョニーアップルシードのようだね」といわれたことがあるからだ。いくつかのホームページを見ていって、以下のような要旨にまとめてみた。
『本名はJohn Chapman。1774年9月26日生、1847年3月18日没。Church of the New Jerusalemの宣教師。オハイオ、インディアナ、イリノイを中心とする広い地域で、りんごの木の植樹を広めた。アメリカ開拓期のレジェンド、ヒーローであり、今日でも広く、その物語は語り伝えられている。
John Chapmanは、Nathaniel and Elizabeth Chapmanの第二子として、マサチューセッツ州レオミンスターで農家に生まれた。母は、肺結核を病んでいて、第三子のNathaniel Jr.を1776年6月26日に生んだあとほどなくして没した。幼な子のNathaniel Jrも同じく亡くなった。それで、Johnと姉は親戚によって育てられた。Nathanielは、1780年にLucyと再婚した。彼女も再婚で、10人の子供があった。

1792年に18歳になったJohn Chapmanは、11歳になる異父弟をつれて西へ行った。目的地はSusquehannaの本部である。1800年頃にはオハイオに居た記録がある。オハイオ内の88箇所を訪れ、りんごの植樹の指導をした。あちこちとその後まわった。没年・墓地などには論議があったが、インディアナ州Port Wayneでの記録が確からしく、墓を確認したとある。

1975年以来、その地のJohnny Appleseed Parkで、9月中旬にはJohnny Appleseed Festivalが開催されている。』

なかなか大変な意思を持ち、そして波乱の人生の人だったようだ。

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Written by masa-ida

11月 9th, 2009 at 11:46 am

ラブレターと沈まぬ太陽

大変珍しいことだが、修了生に「引き出しの中のラブレター」の招待券をもらったこともあり、10月は2回映画館に行った。「引き出しの中のラブレター」は某FM局とのタイアップだと思わせる向きもあったが、それ以上に新鮮に素直にエピソードを楽しむことができた。多少、涙もポロリ。感想:父親はエライ!やっぱり。

もうひとつは、「沈まぬ太陽」。約3時間半。じっと見た。私だったらどうする、あるいは、まぁそうだろうあのことがらは、といったことで、現実感が高く、感動の対象ということではなかった。御巣鷹についても、よく知っている人が社員として遺族まわりをやったのを見ているし、また、直接の関係はないが上司にあたるといえる理事が亡くなっている。左遷についてもあぁいうことはある。一喜一憂せずにもくもくとというしかない。涙を流して感動する余裕はない。トップになろうという人、そしてそのとりまきの人たち、純粋というか単純すぎて、組織の中で昇進しない人たち。人さまざま。

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Written by masa-ida

10月 28th, 2009 at 12:49 pm

Posted in 教員生活,経済